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第十章 世界一の学校

学校経営をひらく(何のためにするのか)

校長としての最後の2年間、赴任したのは、副校長として3年間関わってきた S 学園だった。O 小学校で3年間の校長経験を積んでいた頃、S 学園は建て替え時期にあたっていた。旧 S 小学校のグランドに新校舎を建設し、できあがったところで引っ越しした。その後、旧 S 小学校舎•旧 S 中学校舎ともに取り壊しをして、グランド整備を進めていた。

立ち上げの時期に、「新校舎建設」の校内担当者として見てきたイメージ図通りの校舎が出来上がっていた。4年前にいた教職員もたくさん残っていて、懐かしい顔ぶれとともに、立場を変えてのリスタートとなった。

O 小学校での経験を経て、着任して直ぐに以下の「学校経営の方針」を明示した。

これは、O 小学校の後任校長のために仕上げていった「学校経営で心がけること」を自分用にアレンジしたものだ。まるで、情けは人のためならず。人への施し、助力が正に自分自身の助けとなった。「学校経営は、こうしていくのだ」という決意があふれる内容となった。学校経営において、自分自身にとって最も大事な言葉をあげるとすれば、「ひらき•つなぎ•つむぐ」になる。以下、実際に4月1日に提示した文書を紹介する。


S 学園 学校経営にかかわる考え方

令和3年4月1日

その1

はじめに 学校経営で心がけること(何のためにするのか)

学校経営こそが校長先生の役割であり、皆さん、思いやこだわりがあると思います。

ここでは、どんなことにこだわって学校経営を行うかについてお伝えします。職員も入れ替わり、何より校長が代わるのですから、学校が変わっていくのは当然です。しかし、全く変わってしまうのは混乱を招くもととなります。令和3年度は、塩浜学園創立6年目、小中一貫校のスタートからは7年目となります。地域は変わらず、児童•保護者もほとんど変わりません。より、スムーズな学校経営のために以下を参考にしてください。

自分自身は、管理職試験(校長)の志願理由に、以下の5点を挙げました。これは、何の                                                                                              ために校長職を行っているのか•••につながります。全てのことは、ここにつながっています。


1.夢をいだき、挑戦する児童生徒を育み、活力のある学校を作り上げたい。 2.ひらき、つなぎ、つむぐ教育の実践を広げていきたい。 3.公教育が担う役割を整理し、社会の基盤を作る組織として学校の活性化を図りたい。 4.生命の大切さを共感しあえる、いじめのない社会づくりに貢献したい。 5.日本のよさ、日本文化の素晴らしさを共に学び、日本人としての誇りにつなげたい。

その2

校長の具体的な職務 (何をするか)

1.校内人事(前任者のものを引き継ぎ、1年かけて人事構想を練り上げる)

2.学校運営の基本方針を決め、グランドデザインを作成する。年間計画の骨子を決める 3.「I 市」学校三カ年計画を作成し、学校運営の指標を示す。

4.学校要覧•学校だよりを発行•ポスターやカードの工夫 ~やるべきことを可視化~ 5.危機管理 新型コロナウイルス感染症への対応 6.生徒指導の場面では、情報を素早くキャッチし、早めに鎮火

7.学校評価の分析•成績とあゆみ 8.目標申告の面談•人事評価の実施 9.コミュニティ•スクールの推進

10.校長会•連協


キーワード ~ あいことば ひらき•つなぎ•つむぐ ~

見える化

仕事の遠近法 誠意はスピード

→ 学校経営、コミュニティ•スクールを可視化

→ Things to do やることリスト

→ 危機管理

「誰もいらない人はいない」

モラールアップで不祥事防止

公立学校の立場を高めていく(保護者を参画者にし、クレームの出ない学校へ)

その3

仕事をするうえで心がけること(どのようにするか 手だて①)


「校長」として赴任したが、一体型校舎になったことで、「副校長」の職がなくなっていた。そこで、「副校長」の職務の一つでもあった「学校だより S の風」の発行を引き受けることとなった。自ら発信するツールを持つことで、児童生徒や保護者に「先に説明」する姿勢を貫くことができた。そのことが、少なからず学校への信頼につながったと考えている。実際に学校評価(保護者アンケート)において、「4 信頼される学校」の5つの項目は、どれも平均を大きく上回っていた。学校だよりでは、より広い視野から眺めるためのしかけ

「スペシャルトーク」と児童生徒の作品や感想•保護者の声を発信して参画者意識を高めるしかけ「はまっこボイス•はまっこギャラリー」を創設した。これまで以上に関わる人々を増やすことが、結果的に学校の地位向上に寄与していくのだと思う。


S 学園では、わかりやすいグランドデザインの作成とともに、合言葉「ひらき•つなぎ•つむぐ」を設定した。どんな教育活動もこの合言葉で関連性を持たせた「チーム学校の輪を                                                                                                大きくしていくためのしかけ」でもある。この言葉には、たくさん助けられた。

「つなぐ」というのは、I 市の教育振興基本計画の理念「人をつなぐ 未来へつなぐ」にも通じる言葉であり、学校目標にもつながる言葉になっている。

その3に示したが、仕事をするうえで心がけることは、私自身が大事にしてきた言葉であり、これを学校経営において「どのようにするか」という場面で生かせたと思う。

以下は、実際に O 小学校の校長職を引き継ぐ際に使用したメモである。仕事をするうえ                                                                                                で心がけることについて、何をするかと関連させて、キーワードに沿ってまとめている。


① 見える化 → 学校経営、コミュニティ•スクールを可視化

★何をするか2.学校運営の基本方針を決め、グランドデザインを作成する。

★何をするか3.いちかわ学校三カ年計画を作成(校長の目標申告シートと連動)

★何をするか4.学校要覧•学校だよりを発行•ポスターやカードの工夫めあて、目標を共有しました。

グランドデザインを可視化する 市教委の学校づくりの視点を盛り込む学校だより、HP で広く周知

学校要覧にグランドデザインを掲載

あいさつポスターなど統一感をもたせるおおすまるくんを活用

おおすまるカードを作成、配付(PTA•地域指導者)= 所属意識の醸成

みらいっこサポートカード作成、配付(みらいっこサポーター)= 所属意識の醸成


② 仕事の遠近法 → Things to do やることリスト

★何をするか2.学校運営の基本方針を決め、グランドデザインを作成する。

★何をするか3.いちかわ学校三カ年計画を作成(校長の目標申告シートと連動)仕事の遠近法を採用 Things to do で仕事をリストアップ(業務日記参照) 遠い仕事から終わらせると、全体を俯瞰でき、手前の仕事に加速度がつく

やるべき仕事が終わったときに、空白(なんでもできる)が生まれ、創造力につながる。このことで、校長会の役職やその他の役職も同時並行的にこなすことができました。

コロナ禍の変化に対して、臨機応変に対応できました。

給食の公会計化、学校徴収金の口座引き落とし移行など、先陣を切って取り組めた。超過勤務はなるべく少なくしました。(働き方改革、効率よく仕事をしました)


③ 誠意はスピード → 危機管理

★何をするか5.危機管理 新型コロナウイルス感染症への対応

★何をするか6.生徒指導の場面では、情報を素早くキャッチし、早めに鎮火

頼まれた仕事は、「直ぐやる•今やる」を心がける。あとで•••は極力避ける。なるべく、人の時間を無駄にしない。これが信頼につながる。

事務室からの「押印の依頼」も、ほとんど断ったことがない。全て「どうぞ」でした。職員と対等な目線での関わりを心がけました。

危機管理は、「誠意はスピード」で対応しました。(危機管理さしすせそカードの配付)トラブルになる芽を摘むため、積極的に保護者と話す機会をもちました。

連絡帳の記載で気になることは早めに対応

いじめ案件はマニュアル通りに対応 危機管理マニュアルを作成、フローチャートを活用コロナ対策は、常に最前線で対応 コロナ専用携帯は校長が対応 コロナ情報提供も校長


④ 「誰もいらない人はいない」と明言して、行動した→やりがい↑•不祥事防止につなぐ

★何をするか1.校内人事

★何をするか8.目標申告の面談•人事評価の実施

(学校経営の5つの視点 教職員の心身の健康 = 職場づくり)

職員を尊重しました。職員の顔と名前を一致させる(初日に全員を覚えました)

「誰もいらない人はいない」を原則にしました。校長の発信を大事に、言行一致を心がけました。

「偉そうにしないこと」が大事です。

一人職の辛さ(思い)に共感できる姿勢が大事だと思います。校長の挨拶、言葉は自分の言葉でする。

学校だよりは、ほぼ一人で作成しました。

皆さんを参画者にするために、学校だよりは職員会議で提示し、意見を求めました。

(同:学校運営協議会だより•みらいっこサポート通信)

学校評価などを分析して、記述も集計。職員に情報提供後、保護者にも周知しました。


⑤ 公立学校の立場を高めていく(保護者を参画者にし、クレームの出ない学校へ)

★何をするか7.学校評価の分析•成績とあゆみ

★何をするか9. コミュニティ•スクールの推進

(学校経営の5つ視点 コミュニティ•スクールへの対応 = 学校づくり)学校が保護者に信頼されるための仕掛け

個人情報使用許可はとらず、必要に応じて保護者に許可をとりました。保護者や児童、地域の声を大事にしました。

児童、保護者の声を学校だよりに掲載学校の来校者への挨拶を大事に

学校生活アンケートへの丁寧な対応(いじめ発見•未然防止、保護者への信頼)学校評価では、特に 信頼される学校の項目が抜群でした。

最も高いものは、肯定的評価 97%、「4 そう思う」評価市内平均+26 でした。コミュニティ•スクールの推進を柱にしました。

地域人材を活用しました。

地域講師は、子どもたちがお見送り

子どもを真ん中に据え、講師と子どもを直接繋ぐことで講師のやり甲斐を高めました。学校運営協議会の資料は自分で作りました。

地域学校協働活動推進員をほぼ身内として、活用の場を増やしました。(清掃•挨拶運動)クラブ活動に地域講師を登用 (前教頭先生の頑張りで充実しました。)

学校経営をつなぐ(オープンシェア)

S 学園の副校長だったころは、視察対応の実質的な責任者のような存在だった。

復帰した際、副校長のポストがなくなったため、校長となっても視察担当をかって出た。いつしか「ミスターS 学園」と言われることが多くなっていった。ありがたくも光栄な呼び名ではあったものの、「ミスターS学園」といえるのは、その立ち上げから関わった元校長先生だと思っている。ちなみに、令和4年度にS学園に視察に訪れたのは、青森県•埼玉県•富山県•大阪府、千葉県内では、我孫子市•浦安市•柏市•八千代市等である。

引継ぎデータ:視察用より

視察を受ける際は、「ミスターS学園」のつもりで常に熱さをもって対応していた。視察に来た方の中には、「施設を見学して、説明を聞けてためになったけど、何よりも校長先生の熱さがよかった」という感想を残してくださる方が多かった。それも、教育長や議員さんのようにある程度社会的な地位のある方々からそう言っていただけることが多かった。

視察の際にわかりやすく伝えるために、次の10ワードを用いて説明した。

1.感謝する心 2.学校力学

3.先に言ったら説明 後になったら•• 4.するリスク しないリスク

5.業務改善

6.誠意はスピード

7.コミュニティ•スクールの本質 8.なかよし落ち葉ひろい

9.唯一無二の恩返し 10.ひらき•つなぎ•つむぐ

以下は、新しくした「はまっこサポートカード」で、思いを込めてリニューアルさせた。今でも私の名札の裏に入れている。


学校経営をつむぐ(世界一の学校)

令和4年 10 月 6 日の職員室での光景は、本当に涙が出るほど嬉しく感じた。 2 年生、6 年生は特別支援アドバイザーのアドバイスを丁寧に聞いていた。 5年生は社会科見学の日だった。帰ってきてまとめをしていた。

7 年生•8 年生•9 年生は潮香祭(しおのかさい)という合唱祭の特別練習期間で、放課後の時間をとって担任の先生がそこについて練習をした。9学年あるので、とにかく様々なことが同時並行で行われていた。

そんな職員室で、前日に校外学習で鎌倉を訪れた8学年主任(20代)が前期課程のベテランの先生に鳩サブレをお土産として渡していた。前期課程の先生が「大変だったようだけど頑張ったのね。成長して良かったね。」と心からねぎらいの声をかけていた。このベテランの先生の言葉が心に染みた。勝手にジーンと感動していると、9年生はお菓子争奪戦じゃんけんをして盛り上がっていた。たわいもないことだが、「笑い声が響く職員室って良いな」と素直に感じた。そこで私は失礼したのだが、翌日教頭先生から「校長先生聞いてくださいよ。昨日、あれから他の学校から借りた大きな備品が届いて、あまりに大きくて『先生達手伝ってください!』と声をかけたら職員室からみんな出ていったんですよ。残っていたのは私だけでした。本校の先生って本当に優しいですよね。」

素晴らしい職員集団に育っていた。開校当初は、「小中一貫校なんて、必要ない!」と自分の殻に閉じこもるような教師もいたが、不思議と1年後には、「やっぱり小中一貫校はよかったです。考えが変わりました!」となる。これは、毎年毎年同じような傾向だった。

前期課程、後期課程の職員が一つになり励まし合って助け合う、義務教育学校でしか見られない光景が続くことで相互理解が進む。「ひらき•つなぎ•つむぐ」ことが「やさしさ」                                                                                                を生み出し、児童生徒•教職員•保護者•地域•学校を成長させていくのだと感じていた。

小学校と中学校をつなぐ学校種の「義務教育学校」として、全国オリジナル22の一つとして開校した S 学園。ここを特別な学校にしてはいけない。ここで得たことをどんどん広げていくことが成長した証だと思う。今後は、義務教育学校で見つけた「やさしさ」の重要                                                                                              性を広げていくのが使命である。一言で言うとすれば、小中の教員同士が相互をリスペクトしあう環境を広げていくこと、その価値を伝えていくことが大事なのだと思っている。


在外教育施設での素晴らしい体験から、「帰国したらここに負けない世界一の学校を創るんだ!」と胸に秘めた思いがあった。その思いを具現化するような S 学園での日々を過ごした。「日本人学校」と「義務教育学校」の2つを経験し、見えてきたことがある。「一番」にこだわるのではなく「一つ」にこだわる。「世界一」を「世界で一つだけしかない」という意味で見れば、そこに集うみんなが大好きな S 学園は、みんなにとって「世界一の学校」だった。この姿こそが、在外教育施設がもつ一体感•学校愛•仲間意識につながる姿だと思えた。義務教育学校だけに限らずに、それぞれが自分たちなりの「世界一」を目指せば良い。

「ひらき•つなぎ•つむぐ」を大事にしていけば、「やさしさ」が広がり、やがて「世界一の学校」ができあがる•••そう思える実践だった。

先生、はがさないで‼

定年後に、私の退職と還暦を祝う会を在外での教え子たちが開いてくれた。そこに参加していた教え子や予定が合わずに参加できなかったという教え子に、お礼の言葉とともに一つ質問をしてみた。

あれから 23 年も経ちました。当時の実践について、今に繋がってるものってありますか?もし、当時の僕の実践、姿勢、生き方で今に繋がってるものがあったら教えてください。千葉大学で教えています。将来の日本の教育を担う若き教員志望者に伝えていきたいと思います。

松井先生、あらためて、お誕生日、そして人生のあらたな挑戦、本当におめでとうございます。Y 君の結婚式からあっというまに 3 年が経ちました。なかなかお会いできる機会がないですが、トンボ玉の約束まであと少し、またお会いできるのを楽しみにしています。せっかくの機会なので、稚拙な文ではありますが、以下考えてみました。

自分の学校生活の中でも高雄日本人学校は宝物のような時間でした。

小 6 から中学卒業まで、あの時もし自分が高雄に帰らなければ、あの頃の出会いがなければ、今の自分は絶対にありえません。小さな学校でしたが、だからこそ、みんなが家族の様な温かい学級、松井先生はじめ人生のお手本にしたいと思える先生方との一歩踏み込んだ信頼関係、そしてなんといっても想いを強くもてば何でも出来ると思える前向きな姿勢を育むことが出来たと思います。

当時の取り組みで自分がもっとも感謝しているのは、3学年が一緒に取り組んだ課外活動です。あの活動があったからこそ、自分の生まれ故郷を誇りに思い、好きになれました。多感な時期、特にハーフの子供たちにとって人格形成の上でとても貴重なプロセスだったと思います。そして、なんといっても八田さんに関する取り組みです。当時の活動は、13 歳の自分に大きな感動を与えました。中学、高校を卒業しても、将来どの様な人間になりたいかを考えた時、いつも八田さんのことが熱く胸の中にありました。自分の就職活動でも、文字通り八田さんのことをだけを語り続け、今に至ります。中学時代の感動、発見、刺激が、その後の人生、今の自分にとっての原動力になっていると思います。


私には、このような教え子だけでなく、何かあったら連絡しあい、人生をともに歩いている親友がいる。彼らとは、互いに近況を報告しあったり、困ったときにアドバイスをしあったりしている。上記の回答をもらったときにも、あまりにも嬉しかったので連絡したら、その中の一人が、温かく深まりのある言葉をくれた。高校の同級生で、私の海外派遣の際に一番早く現地に駆けつけてきてくれた恩人でもある。

余談だが、初めて校長として赴任した学校に、その親友の姪っ子が在籍していた。人がつながるってこと、偶然を越えた何かがあると思っている。彼の返信を紹介する。


まさに望んだ回答だね。教育に携わる人間として一番大切なのは、どんな実をつけるか知

った上で適切な時期に適切な場所で種をまき、必要な肥料と適量の水を与えながら、その種が実になるのを待つというスパンの長い活動である、と自覚していることだと思ってる。将来のその子の道を示して、あとは自分で歩き始めるのを期待して。

実践がちゃんと実を結ぶんだということを証明するなら、こういう成果をきちんと集めることが大切。でもなかなかここまで種まきのときの志がまっすぐつながる実践ってないよ。すごいよ。僕のアフリカでの実践もそうなっていることを願うなー。さらに言うと、アフリカでの実践はきみの実践から繋がったもの。これだってきみの実践の、別の成果なんだよ。


若い教師の皆さん、これから教師を目指している皆さんへ。

ここまで、「言葉」にこだわりながら、私自身の教師人生を振り返ってみた。

「教育は人」だ。私は、教師を続けてきて、人として成長できたと思っている。3年目の挫折は、実は「終わり」ではなく「始まり」だったのだ。40年経った今、こうして「若者に教師の素晴らしさを伝えたい」と思って書き記していることは、紛れもなく成長した姿そのものだと思う。若い皆さんは、「青年教師の持つ情熱」をいつまでも持ち続けてほしい。教師3年目の終わりに辞めなくて、本当に良かった。

「第3章 教師としての第一歩」では、私自身の青年教師時代を紹介した。以下の手紙は、

「先生!はがさないで!!」と題して、卒業式直前に職員に向けて書き、机の上に置いた。 29歳の春のこと。当時の「青年教師の持つ情熱」が記されている。


亡き父との答え合わせ

いつのまにか、教師人生の自伝のような内容になってしまった。この文章を読んでおられる方の中には、私自身が迷惑をかけた方々•ピンチを救ってくださった方々もおられるだろう。その方々からは、「お前に言われたくないよ。」という声が聞こえてきそうである。

そう、まさにそれこそが教育の本質である。

「何を言われたか」よりも「誰に言われたか」が優先する。主体を自分に替えて表現すれば、

「何を言うか」よりも「誰が言うか」が優先するため、成長しないと伝わらないのだ。

「人生を彩る言葉」が輝きを増すかどうか、本当に輝くのかどうかは、その言葉を発した人の行動そのものにかかっているということになる。では、どう生きたら良いのだろうか。


「どう生きるか•••。」私は、小さい頃から「どう生きるか」につながる問いを父にぶつけていた。今は亡き父との問答で、答えが出なった問いがあった。近くの公園で洗濯をしているホームレスと思われるおばさんの行為について、私が父に質問した時のことだった。

「父さん、ホームレスのおばさんが公園の水で洗濯していたよ。あれ、ずるいよね。」父の答えは、一言だった。「お前は冷たい奴だな•••。」その言葉を聞いてから、頭の中ではずっと「謎かけの答探し」が続いていた。ずっとずっと解けずにいたままだったが、もうすぐ父が退職した年齢(63歳)を迎えようとしている今、その答がわかった気持ちになっている。今回、自分の教員人生を振り返ることで、大事にすべきは「やさしさ」なのだという想いにたどり着いた。

定年を迎える最後の年、毎朝のあいさつ運動でご一緒していた S さんの言葉は、その答に迫るものだった。「校長先生、正義と正義はぶつかるけど、やさしさとやさしさはぶつからないの。」心に残るというより、心に刺さるような名言だった。やはり必要なのは「やさしさ」だと心に刻んだ。「教育は人」だ。人として大事なことは「やさしさ」だ。そうなると、教育に携わる者の最も大事にすべきことは「やさしさ」なのである

「やさしさ」という切り口で、これまで記してきた文章を俯瞰してみると•••。 第一章 最後の式辞、「できっこない」とダメだししてくれたのは、「やさしさ」だ。第二章 新米校長を信頼し、尊重して立ててくれたのは、「やさしさ」だ。

第三章 困っている青年教師を助けてくれたのは、「やさしさ」だ。

第四章 産み捨てられた鳩の子を育てる私を受け入れてくれたのは、「やさしさ」だ。第五章 慣れない海外生活をサポートしてくれたのは、「やさしさ」だ。

第六章 亡き父が病床で見せた、父が家族を思う気持ちは、「やさしさ」だ。

第七章 ピンチの時も、チームワークでフォローしてくれたのは、「やさしさ」だ。第八章 新米教頭を信頼し、尊重して立ててくれたのは、「やさしさ」だ。

第九章 ピンチこそチャンス。コロナ禍でも支え合えたのは、「やさしさ」だ。第十章 小•中が垣根を越えて支え合ったのは、お互いの「やさしさ」だ。

私自身の教員人生は、周りの「やさしさ」に支えられていた。「やさしさ」は、常に教育活動を支えてくれた。「やさしくあれ!」これこそが、亡き父の謎かけの答えなのだ。

やさしさの物差し

今、振り返れば、「やさしさ」の測り方については、若い頃からある先輩の先生を判断基準としていた。「S先生を大事にする人は、自分につながる人」という判断基準である。この「やさしさの物差し」は、教員生活38年間ずっと使い続けていた。今の私があるのは、

「やさしさの物差し」を大事にして、貫き通してきたからだと思う。深く感謝している。

「やさしさ」と「父」、2つの言葉を同時に思い起こした際に、一緒に登場する相棒がいる。それは、台湾で出会い、一緒に帰国し、楽しい時も辛い時も共に過ごした愛犬「クロ」である。父が自宅で闘病生活する中で、「クロ」はいつも父を励ましてくれていた。一緒に散歩にでかけられないものの、父がいつも気に掛ける相棒であった。父がホスピスに入ってからは、時折、病室の窓から「面会」させた。父はやさしい笑顔で微笑んでいた。その「クロ」は、父が他界してから12年も生きた。17歳10か月、人間にしたら100歳を超える大往生だった。2月1日は、台湾で出会い世紀を跨いで幸せを届けてくれた愛犬クロの誕生日である。(生きていたら26歳:合掌)今年は、昭和100年。節目となるのにふさわしい年である。晩年は、目が見えなくなり、歩くものも辛くなっていった。18年近く一緒に生活していながら、一番可愛かったのが、老犬になりオムツをしていた頃だった。

これは、「クロ」との想い出を記したミニ絵本である。このように感動した出来事を絵本にまとめるようになったのは、鳩の「ハマジ」との出会いからである。(第4章 三始の空に 参照)記憶は、記録によって冷凍保存される。このミニ絵本を見るたびに、当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。「やさしさ」を磨いてこられたのは、人との関わりだけではない。鳩や犬との関わりでも大いに磨かれたのだと、今改めて感じている。

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